新元号・令和によせて 失われた30年の振返り
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30年にわたる平成が終わるのをきっかけに、経済面から平成をフィードバックする書籍が多数登場しています。
いずれにも共通しているのが「平成=日本が経済的に立ち遅れた時代」
つまり「失敗」だったという総括です。
中でも話題の1冊、野口悠紀雄氏の『平成はなぜ失敗したのか』では、「失われた10年」どころか「失われた30年」であると、手厳しく評価されていました。
今回のビジネスEYEでは、「失われた30年」を振返り、日本の将来の課題をまとめてみましょう。
(参考:野口悠紀雄・著『平成はなぜ失敗したのか』)
(1) バブル崩壊に気が付かなかった理由
1980年代、世界経済における日本の地位は非常に高いものでした。
日本経済は急激に成長し、80年代後半には地価が高騰。
GDP(国内総生産)はアメリカに次ぐ世界第2位となり、経済大国・ニッポンとして歩んでいた時代です。
今振り返れば、これはいわゆる「バブル」なのですが、当時は経済の実体的な変化によってもたらされたと好意的に考えられていました。
実際に、世界の時価総額ランキングTOP20のうち、15社が日本企業であるという栄光もあったわけですが、90年代の初め、日本経済は天井に突き当たります。
91年頃から地価が下がり始め、企業の売上高の増加も止まってしまいます。
しかしながら、こうした変化を見誤り、一時的な現象として捉えてしまったことが、バブル崩壊に気づけなかった理由の一つです。
正常なリスク判断ができないほど、楽観的になっていたため、地価の下落や企業の売上、利益に変調をきたしても、「どこかで取り戻せる」と酔いしれたままでした。
こうして、当時は専門家ですらも気づけなかったバブル崩壊から、「失われた30年」が幕を開けるのでした。
(2) 将来への課題
80年代の末、日本がバブルに浮かれている一方で、世界は大きく動いていました。
中国をはじめとする新興国の工業化、情報通信技術の革新などが進み、GoogleやAmazonといった創業間もないベンチャー企業が、世界の巨人へと成長。
この変化は、製造業の生産方式に大きく影響し、複数の企業が様々な工程を分担して受け持つ「水平分業型」が広がりました。
新興国の工業化により、コストを抑えて生産できる「水平分業型」がさらに有利になり、日本が採用していた、最初から最後まで一企業が工程を全うする「垂直統合型」はシェアを落とすこととなりました。
世界が大きく変化し、新たな成長条件を生み出している中、日本の産業構造や経済体制は、その条件に適合できない状態が続きました。
日本が対処すべき課題について、野口氏は、下記3点を自ら変えることでしか解決できないと述べています。
◆労働力不足への対処
高齢者や女性の労働力率を高めるとともに、移民を大幅に増やす。
◆世界経済の構造変化への対処
中国は将来、1人当たりGDPで日本と並び、GDPは日本の10倍になると予想される。特にこの中国の急成長に対処する。
◆新しい産業の創出
新しいイノベーションをもとに、企業のビジネスモデルを転換させて、生産性の高い産業を創り出す。
合わせて、AIなど新しい技術への対処も必要でしょう。
上記3点を見るに、アメリカを踏襲すべきという強い主張を感じます。
選択と集中がより加速するであろう新元号・令和においては、「金融緩和や円安で景気回復すればいい」のではなく、スピード重視で迷わず事業撤退を見極めたり、スタートアップを促進したりするような、アメリカ流の企業観がさらに広がっていくのかもしれません。
その点に、課題解決のカギが隠されているといえるでしょう。