人生が変わる お金の大事な話

【Story1】チャレンジしたい夢を持っていますか?美容師を夢見た、年収150万円


高校を中退、トップスタイリストを夢見て


「君の目には、力があるね」
そんなことを美容室のお客さんに言われた。18歳の僕は茶髪で長髪のいかにもチーマーみたいな風体だった。

〈それってガンを飛ばしているってこと?〉
クレームをつけられたのかと思った僕は、むっとしながらシャンプーの準備を進めた。
そのお客さんは星さんといい、年のころは40代半ば。外見はインテリ風で温和な感じの男性だ。
彼のカットはいつもオーナーが担当する。そのときのアシスタントとして僕がつくようになったのは、ちょうど半年くらい前。僕は渋谷のサロンに勤務してまだ1年ちょっとの見習いだった。
この業界は、専門学校を卒業して、サロンに美容師見習いで入ると、最初の1カ月は床磨きなどの掃除や、先輩美容師のアシスタント仕事がほとんどだ。その後の半年は、シャンプーや接客、掃除。さらに次の半年がパーマのロット巻き、シャンプー、掃除といった具合だ。多少の個人差はあるがハサミをもって客の髪をカットできるようになるまで、2年から3年はかかる。

星さんはこの半年、月に1、2回は来ていて、僕に目を留めたらしい。シャンプーの準備を終えたあと、こう言った。
「君には強さと明るさがあるね。だから目にも力がある。意欲が伝わってくるよ」
要するに僕は、「がんばりなさい」と励まされたのだった。
星さんは人材派遣会社を経営しながら不動産投資事業を営んでいる。実は大変な実業家で、一代でかなりの財産を築いた人らしい。僕はうちのオーナーと先輩美容師たちの会話から星さんの素性をうすうす理解していた。若いころに身を刻む苦労をして、今日を築き上げたらしいが、少しもそんな面影を残していない。

ただ、何か揺るぎない存在感は僕のような若輩者にもわかる。
しかし、この人がのちに僕の人生の歯車を大きく回す原動力になってくれるとは、このときは夢にも思わなかった。
当時、美容室には6人の美容師と3人の美容師見習いがいたが、僕は内心、「将来はオーナー以外なら誰にも負けない技術を習得できる―」と自負していた。そして早く美容師資格を取ってトップスタイリストに駆け上がりたい。独立して自分の店を持ちたいと夢見ていた。
それだけに、追いつけ追い越せの気持ちで仕事と練習に明け暮れていた。仲間との無駄話につき合うこともなく、遊びのつき合いもめったにない。遊ぶときにはひとりで遊んだ。そのため勤務しはじめて数力月が経つと、僕は美容室内ではかまってもらえず、浮いた存在になっていた。

でも、そんなことは気にしてはいられない。
〈どうせ僕は、みんなと一緒に仲良くやるなんてできないし、ひとりでいるほうが気楽でいいよ〉
それに僕は高校を中退していたので、中学卒業の学歴しかない。社会に出て成功するにはなんとしても手に職をつけ、独立するしかないと必死だった。


高校進学時にドロップアウト、そして留学


僕は横浜生まれの東京育ちだ。
勉強がそんなに好きでなかった僕は、それでも小学4年生になると、中学受験のための塾に通わされた。小学校を卒業するころには、中学2年生ぐらいまでの勉強を終了していた。だが、受験した5校すべてに落ちて、中学受験に失敗した。初めての挫折だった。

それでも、小学校で塾に通っていたため、中学校では勉強をしないでも、上位の成績を取ることができた。3年間の塾通いで蓄積された知識で十分に間に合ったのだ。
そのため、勉強はそっちのけでよく遊んだ。ヤンキーとまではいかないが、授業中に悪ふざけをして騒いだりする「悪ガキ」だった。
しかし中学3年になると、これまで取れていた成績が取れなくなってしまった。どんどん偏差値が下降していく。そのうえ「素行不良」ということで、内申書も悪かった。

良い学校へ行くことで将来の安定が保証される――僕の両親はそういう考えの持ち主だ。とくに父親は、会社勤めをしながら十数年、苦労して勉強し、弁理士の資格を取っていたせいか、とにかく学歴や資格を重視していた。
学校の勉強ができる人間でなければ、将来社会に出ても成功しない。だから大学まで行かないといい仕事につけない。大学進学が無理なら、せめて高校ぐらいは出ておけと言っていた。

僕は高校を中退して美容師になってからも「夜間高校に通って大検を受けて大学へ進学しろ」と何度も言われていた。
僕には兄がいるが、彼は父の考えに沿う「エリート一直線」な人で、中学受験で希望する学校へ入り、希望する大学にもストレートで入学している。
一方の僕は、せっかく敷かれていた無難なレールを外れてしまった。飽きっぽい性格で、学校の勉強が嫌いなせいもあったけれど、進学が「将来の安定したサラリーマン生活を手に入れる」という手段のような考え方に反発していたのだ。
周囲はどんどん高校入学という進路を決めていく。僕は内申書が悪く、ろくな進路も見つけられない。でも進学ができなくてもめげることはなかった。どうも僕の性格にはひねくれたところがある。
〈勉強がイヤなら、勉強しなくても社会で成功する道を見つけよう―〉

そんな思いが、むくむくと胸にわき起こっていた。
〈建設作業員とか美容師とか手に職をつけて、いずれその道で独立するなんていうのもいいかもしれない〉
しかし中学3年生の僕はただ漠然と考えているだけで、行動を起こすことはなかった。そもそも世の中にどんな職業があるのかさえも、よくわかっていなかったのだ。
結局、「高校ぐらいは出ておけ」という親の考えを受け入れて、中学卒業後、アメリカのロサンゼルスにある高校に留学する。日本では僕の成績で進学できるような高校なんてなかったのだ。


「学歴」がないというハンディキャップ


この留学は「学歴がない」というハンディキャップを補うようなものだ。それは親の、子供の将来への不安を解消するためのものであって、僕自身にそれほ
どの不安があったわけではない。
〈留学もいいかもしれないなあ〉
なんてかなりのんきに考えていた。
僕がテレビや雑誌で目にするアメリカのイメージでは、街並みやそこにいる人たちもかっこいい。
〈アメリカに留学するなんてかっこいいじゃん〉
それに親元を離れてひとり暮らしができることにワクワクしていた。

でも、いざアメリカに留学してみると、生活費はかつかつだし、知り合いもいない。英語も話せない。孤独な日々が待っていた。
そんなときたまたま髪を切りに出かけた店で、美容師さんたちに出会った。彼らは英語が話せない僕に対し、笑顔とジェスチャーでコミュニケーションを図ってくれた。なんといっても魔術師のようなハサミさばきで、てきぱきとカットする姿のかっこいいこと!僕は美容師という職業に憧れを抱くようになった。
社会に出て人並みの成功をおさめるには手に職をつければいい。そう考えていた僕は決心する。
親の反対を押し切って、留学後半年も経たないうちに退学してしまった。


貧乏してでも憧れの美容師になりたい

日本に帰国した僕は、実家には戻らず、東京の杉並区でひとり暮らしを始めた。
そして美容専門学校に1年間、通いつづけた。卒業後は、渋谷の美容室に雇い入れてもらった。
美容師時代の給料は月13万円。年収にして150万円くらいだ。そのとき住んでいたアパートの家賃は4万円。築50年を超すボロアパートで、階下のスナックから夜中までカラオケの歌が聞こえるようなところだ。トイレは和式で、ベニヤ板一枚で隣の部屋との境ができている。一応、シャワーボックスのようなものがついていて、それがついていない部屋の家賃は2万円ということだった。

この部屋に住み始めたころは本当にお金がなかった。部屋の電球も買えず、夜はトイレの裸電球をつけて、ドアを開けて過ごしていた。
賃が安かったので、月収13万円でも生活できないことはないが、ぜいたくはできない。それでも僕はお金の扱い方を知らず、入ってきたらそれ以上に使ってしまう生活を送っていた。足りないお金は親から借りたり、ローン払いにしたり、自転車操業のような暮らしぶりだった。

3万円の給料で、一日の労働時間は練習時間も入れて13時間以上。休みは週1日だ。きっと、コンビニのアルバイトのほうがもっと楽に稼げただろう。
だからといって、生活が荒んだわけではない。美容師として早く独立し、トップスタイリストを目指していた。
星さんの言うように、意欲だけは一人前だった。
かっこよくいえば、昼間は黙々と仕事と練習に明け暮れていた。