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富者の遺言 第1章 始まり〜本当にそれでいいのですか?[第1話]元銀行員の男が起業をして、一時は成功の夢をつかみかけたが失敗する。男はなぜ自分が失敗したのか、その理由を、ジョーカーと名乗る怪しげな老人から教わっていく。”ファイナンシャルアカデミー代表”泉正人が贈る、お金と人間の再生の物語。平成23年11月11日6時 夕暮れ時がやってきた。 太陽が僕の顔を真っ赤に染めた。「もう夕方か、どれだけここにいたんだ?」誰に尋ねるでもなく後藤英資は言葉を…
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スクール日程&進捗状況
(新宿本校の平日コース日程と進捗状況です)
不動産投資の学校 |
7/11•7/12 Vol.11 保有物件の管理
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株式投資の学校 |
7/13•7/14 Vol.11 全体相場の分析
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外貨投資・FXの学校 |
7/11 Vol.11 テクニカル分析(オシレーター系1)
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お金の教養スクール |
7/21 Vol.B(2) 信用が社会の中心でまわっている
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セミナー案内
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全国で毎月3,000名が参加する「お金の教養講座」では、”毎日の家計管理”や”将来かかるお金の準備”などの具体的な取り組み方。 また、将来収入を増やすための効率的な…
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毎日会社と家の往復ばかり、決められた仕事、馴れ合いの会話にうんざり・・・
大人になって自由な時間が生まれた今こそ、新しい趣味や習い事を始めるチャンス!…
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株価というものは、気まぐれです。2016年6月以降、英国のEU離脱に関する国民投票、いわゆる「ブレグジット」により日経平均株価は1万5千円を割り込む暴落となり…
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お金を生む情報を誰よりも先につかむ経済新聞には未来の市場を動かすニュースがある。わずか160円。日本を代表する経済新聞である日経新聞の1部あたりの値段です。この…
お知らせ
ファイナンシャルアカデミーのSNSでは、お金にまつわるユニークな情報も配信中!FacebookとTwitterの公式アカウントではファイナンシャルアカデミーの最新情報だけではなく、 |
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マキ・コニクソンさんと言えば、今もっとも有名なハワイのコーディネーター。「スタッフのみんなに元気を与えて、ハワイで素敵な思い出をつくってほしい」というのが仕事上のポリシー。マキさんが現れるだけで、現場がぱっと活気づく。まさにハワイの太陽のような人柄の秘密は、超がつくほどのポジティブシンキングにありました。
■テレビ局に就職するもすぐに独立。結婚をきっかけにハワイへ
―現在の仕事につくまでのキャリアを教えてください。
もともとテレビマンなんですよ、私。学生の頃はアメリカに留学していて、ワシントン大学を卒業して帰国しました。その後、英語力を買われて、大手のテレビ局に入ったんですよ。でも、すぐに辞めちゃいました(笑)。
―え、どうしてですか?
たしかに待遇もよくて、家族もよろこんでくれました。ただ、私は生来、枠にはまるのがイヤなタイプなんです。会社で決められた仕事をやっているうちにだんだん「このままこの仕事を続けて、私は将来幸せになれるのだろうか?」と疑問に思ったんです。次の日には辞表を出していましたね。
―決断が早い! その後は?
フリーランスとしてすぐに活動を始めました。英語力を生かして通訳をやったり、レポーターをやったり。24歳のときには自由が丘で英会話サロンを始めて、あっという間に生徒数が700人になりました。目が回るほど忙しかったですが、毎日がワクワクの連続でした。
―まさに水を得た魚。人生の転機は何だったんですか?
20代で元海軍パイロットの夫と結婚したことで人生が大きく変わりました。その後、彼の赴任先のオーストラリアで暮らしたんですが、この時期が私の暗黒時代。専業主婦として仕事をしなくなったことで、ひどく落ち込んでしまい、何かがあるとすぐに自分や夫を責めるようになりました。そう、私が私ではなくなってしまったんです。そんな私を彼は優しく見守ってくれました。私は変わろうと思い、早速、日本語教師の職を見つけ、一生懸命打ち込みました。そのうちに待望の子供まで……。私は『自分の心の持ち方をちょっと変えるだけで、すぐに世界はハッピーになる』ということをこのとき確信したんです。
―ハワイのコーディネーターになったきっかけを教えてください。
ハワイに住むようになったのは、夫の赴任がきっかけです。私はちょうど30歳でした。ハワイに着いてわずか10日で、知人の紹介で撮影コーディネートの依頼を受けました。最初は右も左もわからないハワイで失敗の連続。でも、『落ち込んでいるヒマなんか私の人生には一瞬もない』というのが私の信念。すぐに自分の会社を立ち上げて、人一倍ひとつひとつの仕事を丁寧にこなすように心がけました。すると3年で軌道に乗せることができました。
―今ではハワイ以外の撮影コーディネートも手がけているとか?
そう、40歳になったとき、ハワイではどんな要望にも応えられるという自信を持てたので、世界にチャレンジしようと。パリやニューヨーク、ロンドン、ロサンゼルス、カプリ島など数えきれないほどのロケ地を訪れました。行ったことのない場所もありましたが、ハワイで培った技術と経験のおかげで何とかこなすことができました。あとは、持ち前の元気がものを言いました。(続きは次回のWeekly通信で)
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